寺社探訪

寺社探訪とコラム

「荒川 百所巡礼 20」

目次

寺と墓地

荒川 百所巡礼 第151番 真言宗豊山派 應正寺

秩父往還から少し荒川方面に入ったところに、真言宗の應正寺があります。入口は整備されていて、広い駐車スペースもあります。吉祥山應正寺と大きく書かれた板碑があります。

本尊は不動明王で、屋外にも不動明王の大きな石像がありました。境内地の割に墓地が小さくて少し心配ですが、住職宅と思われる家は立派でした。境内も整然としていて、新しい石仏なども建立されているようです。

こちらが観音堂です。田舎の寺社を見ると、すぐに経営基盤は大丈夫か? と心配してしまいますが、大体は余計なお世話です。住職が実際に百観音巡礼を行って集めた「百観音のお砂踏み場」もあります。

 

荒川 百所巡礼 第152番 知形大神社

應正寺と入り口は別ですが、奥で繋がっています。知形(ちがた)大神社です。こちらは延喜式神名帳式内社の論社だそうです。延喜式神名帳は、延喜5年(927年)に当時の「官社」つまり国営神社を一覧表にしたものです。現代も残る神社にとって、この神社が延喜式神名帳式内社であったというのは、そんな古くから由緒正しき神社だったという証明になりますから、とても名誉なことです。ただ、「延喜式神名帳に書かれたこの神社はうちの神社ですよ」という神社が複数出てきて、歴史的証拠や大人の事情によってにどちらとも決められない神社を、論社と読んでいます。延喜式神名帳に登場する田中神社の論社が、この知形大神社を含めて3社あります。

主祭神は彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)、いわゆる天孫降臨のニニギです。相殿に菊理姫神伊弉諾尊伊弉冉尊を祀っています。たぶん白山神社を合祀した歴史があるのかなと思います。本殿の左側に集合住宅式の境内社があり、4社、4社、5社とたくさんの神々が団地にように住まわれています。知形大神社では、式内社というよりは指定文化財のお囃子の方を推している感じです。

秩父往還に戻って西に向かって歩きます。物流トラックが多く通行する道路で、田舎だから空気がきれいとは限りません。しばらくまっすぐ歩いていると、應正寺見目墓地が現れます。寺院隣接の墓地が小さくて、余計なお世話の心配をしましたが、こんな飛地に大きな墓地がありました。何かしら、時代の流れ的な経緯がありそうですね。こちらは墓地の中心的なお堂です。


荒川 百所巡礼 第153番 庚申塔猿田彦大神(應正寺見目墓地)

墓地の中に宗念堂という小さなお堂があって、その横に三猿付きの庚申塔がありました。憤怒の形相の菩薩か明王的な方が邪鬼を踏んづけています。その左には猿田彦大神です。神様なんですけど、墓石のような形で祀られています。

六地蔵と古い石碑を積んだ万霊塔がありました。

また秩父往還沿いをひたすら歩いていると、このような垂れ幕を見つけました。今年の7月から新札になりますが、既に「一万円札のまち」として売り出しています。ちょっと早い気もしますが、一万円札ですから多くの方々が渋沢栄一に良い印象を持つのではないかと思います。

 

水は命の源

ファミリーマートの隣に巨大な板碑がありました。この付近は江戸時代に6つの堰が造られていて、それぞれに用水路を引いて利用されていました。水を巡る農民同士の争いや、安定した水の供給のために、昭和14年に6つの堰を統合する形で、旧六堰頭首工が完成しました。老朽化のため平成15年に六堰頭首工が完成し、その記念碑がこちら( ↑  )です。

荒川河口から87kmに位置します。この取水で4市1町にまたがる3820ヘクタール、7751戸の関係農民が受益者となっているそうです。見るからにそのくらいは網羅していそうな設備です。

こちらは河口側です。遠くに見えているのは荒川第二水管橋です。ちなみに第一水管橋は、熊谷市の大芦橋手前にありました。私が両足に左足用の5本指の靴下を履いて歩いたあたりです。アーチが多すぎて数えませんと語っていましたが、荒川水管橋は日本の長い水管橋ランキング1位です。

 

荒川 百所巡礼 第154番 不動堂

もはや土手上の道というのは無くなっているのですが、なんとなく川沿いに歩いていると不動堂がある広場がありました。このようなお堂の由緒としては、大きく2パターンあって、かつては寺院であったが、廃れてしまい不動堂だけが残っているパターンと、不動明王像があり、それを祀るためのお堂のみが建てられ現在に至るパターンです。前者の場合は墓地がついている場合が多いです。

不動の滝という案内がありましたが、滝というより、多摩川源流の水干(みずひ)みたいです。説明板によると、いつの時代かは不明ですが、大和国の初滝小池坊という僧が当地を行脚した際に、不動明王を安置する小堂を建てたそうです。江戸時代にはこのあたりは両岸が切り立った崖で、急流だったそうです。もう少し上流に行くと、そんな景色が見られるでしょうね。

不動堂から六堰頭首工がよく見えます。

反対の上流側です。川の移ろいもですが、遠くに見える秩父の山の様子も、荒川の風景として一緒に移ろいゆきます。

 

荒川 百所巡礼 第155番 高野山真言宗 薬王寺

花園ICの交通量に応じるべく、140号線は秩父往還から離れてバイパスのようになります。彩甲斐街道という名前になるんですね。IC周辺を越えると、また合流して秩父往還になります。荒川沿いをクネクネと進んでおりますと、広い境内の寺院がありました。サッシが全て閉じていることから、普段は無住の寺院かなと察せられます。関東ですと高野山真言宗はメジャーではなく、豊山派や智山派の新義真言宗の寺院が多いです。境内には塀がなくて、畑からいきなり寺という感じです。墓地がそこそこありますので、檀家さんがいて、寺として機能していそうですが、専任で住職を抱えられるほどの経済基盤はなさそうです。

立派な鐘楼堂も降ります。墓地があるということは檀家がいるということで、檀家組織である役員会(総代会)などもあると思います。専属住職がいなくても、役員会が中心になって寺の行事を行うことがあります。おそらく、除夜の鐘などもきちんと行われていると思います。

境内には謎の石碑が並んでいました。そもそも何であるのかはわかりませんが、長い年月に渡って祈り継がれてきたことが伺えます。

 

荒川 百所巡礼 第156番 豊栄神社

薬王寺の近くに豊栄神社があります。こちらも常駐の宮司さんは居ないようですが、広い境内で立派な神社です。豊栄神社は、赤口社と聖天社の二つの神社がルーツになっています。化政年間(1804-30年)には既に同一境内にあり、氏子区域も統合されていました。明治39年に二社を合祀して、豊栄神社と改称したのだそうです。

瓦屋根の社殿は珍しいですね。社殿の向こうには境内社も見えます。境内には「黒田のささら獅子舞」の案内板が掲げられていました。奥多摩もそうでしたが、秩父方面も獅子舞を地域の伝統として受け継ぐ歴史があるんですね。保存会が作られていて、例大祭などの行事で披露しながら、地域の子どもたちに伝承していると思われます。

 

古墳群を歩く

荒川 百所巡礼 第157番 黒田古墳群

黒田古墳群は、帆立貝形古墳と円墳合計30基以上で構成されていた古墳群です。私は考古学的な分野は無知なのですが、奈良の富雄丸山古墳のニュースを見ていると、古墳の発掘はロマンの塊だと思います。古墳の調査は自治体や文科省の管轄だと思うのですが、これが天皇陵となると宮内庁の管轄になって発掘調査不可能になるというのも、また面白いロマンだと思います。こちら( ↑ )は19号墳です。古墳の上に祠が建てられて、鳥居も構えられています。

河川敷を歩いていると、自動車学校って結構河川敷にあるんだなと感じます。ここはトラック教育センターという施設のようです。この橋は荒川橋で、関越道が走っています。近くには花園ICがあります。東京にいてもラジオの渋滞情報でよく名前を聞きますね。景色的には上流に差し掛かっていますが、橋は上流に向かうに連れて幅が狭くなり、水面とに距離が離れていきます。狭く高くなっていくんですね。そういう観点で見ると、荒川橋はまだ上流の橋ではありませんね。川の様相と同じく、橋の形状の変化も、これからの密かな楽しみにしていきましょう。

畑の中に黒田古墳群2号墳があります。全長41m(残存33m)帆立貝形古墳で、6世紀末の築造となります。古墳からは形象埴輪が出土しているそうです。

 

荒川 百所巡礼 第158番 宝篋印塔・庚申塔

少し進むと花園橋があり、比企郡嵐山町大里郡寄居町を結んでいる県道296号線が走っています。花園橋の袂に宝篋印塔と庚申塔が立派に祀られています。そもそも個人の土地から出土したものだそうです。説明版には一般的な宝篋印塔の説明と清和源氏家系図が書かれていました。

花園橋から見た荒川です。河口から89.8kmです。なんだか寂しい雰囲気ですが、この辺りは花園ICが近いので、大きな駐車場を構えた大型の郊外型店舗が沢山あります。

川沿いを歩いていきます。川底が凸凹していて、水草が育っている様子が見えます。上流になってくると、このような岩盤というか、地層が出現するような川の様相が見られます。これがもっと顕著になると渓谷のような姿になります。

 

荒川 百所巡礼 第159番 多聞天・他

川沿いの大木のそばに、何の囲いも無く石像や石碑が30基ほど集められたエリアがありました。多聞天と刻まれている石碑の他、原型が何だかわからないほど風化したものもあります。おそらく各地にあって、掘り起こされたり、開発で邪魔になったりしたものをここに集めたという感じです。土手上の道が無くなり、ここから先は何となく良き道を探しながら荒川沿いを進みます。進みが遅くなると思いますが、その分様々な場所に目を向けて歩きたいと思います。

 

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